スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
category
スポンサー広告

オーストリアとプロイセンの間にあった7週間戦争とは?

 最近ヘタリア関係の人気により西洋史も結構人気が出てきたんじゃないかと思っている私ではありますが、なぜ7週間戦争があったのかを軽く書いてみようかと思います。詳しくは関連書籍を読まれるのがいいと思います。
 ざっくり簡単に言えば、産業革命の波がドイツにも来たのはいいけど、分裂小国状態のドイツでは産業革命を顕然に行なうことが出来ない、このままでは後進国のままでいてしまう! マズイ! というところから話は始まるんですね。そして具体的な方法論としてドイツ人だけのオーストリア抜きの小ドイツ主義、ドイツ人だけを集めて大国になろうぜ! この際オーストリアとか言ってらんないさという大ドイツ主義、いや待て待てドイツ人だけってオーストリアは多民族国家なんだけど? 困るよ。だから全部なんでもありだわさという中欧帝国主義の三パターンですね。

 問題なのは小ドイツ主義と大ドイツ主義は決して反しないんですね。というのもどちらもドイツ人の国家を模索しているのですから。ただ問題なのはここに”オーストリア”という存在が入ることです。まず多民族国家だということ=ドイツ人の国を作ろうという場合、オーストリア在住のドイツ人と非ドイツ人で分断が生じる=帝国分裂の危機、バラバラになるんです。そのためオーストリア帝国は大ドイツ主義には反対の立場をとっています。そこでオーストリア帝国はこの際ドイツとかどうでもよくない? ということで7000万人の帝国を作るとしてオーストリア+それ以外のドイツ地域全部! というなかなか野心的な話をします。でもこれもNG……。なぜか? オーストリアが入るということは、こんな強大な国が来たら新ドイツ帝国はオーストリアの属国集団じゃないか! という至極まっとうな話となるのです(笑)


 そこでシュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争などがあり、一度プロイセンとオーストリアは共同してことにあたった時期もあるんですね。ただこれは罠とも言われていて、プロイセンはこの時オーストリア軍がまさかのナポレオン時代の軍隊そのものであることなどを調査していたとも言われているんですね。つまりこの後にも書きますが、現在は当たり前になっているボルトアクション式ライフルの投入などあらん限りの技術を投入したプロイセンと、旧態依然というか化石軍隊のオーストリア軍では勝負にならないんですよ(笑)

 さて、実際の戦争はといいますと世界初のボルトアクションライフルで武装し、大砲なども新式のプロイセン軍は火力の面で圧倒的に優勢でした。おまけに電信技術や鉄道などの整備も行われ、火力だけではなく情報面や軌道面でも優勢でした。オーストリア軍は先述の通り旧態依然のナポレオン時代の軍隊で、圧倒的な火力を前に銃剣突撃をするしか無い軍隊でした。結局、ケーニヒグレーツの戦いの戦いに大敗を喫し、リッサ沖海戦で優勢であったことはありましたが、戦局には影響せず……オーストリアはドイツを諦めざるを得ない状況となりました。

 その後、ドイツ帝国はフランスとの戦争に勝利し、晴れて正当なるドイツ帝国になります。オーストリアは破れこそしましたが崩壊等はなく、ハンガリー人(マジャール人)との間に妥協を行い、オーストリア=ハンガリー二重帝国としてドナウ川流域で勢力を誇ることになります。どちらもこの戦いで滅びたり、占領したりというのはなく第一次世界大戦まで続いていきます。でもおかしな話と言っては失礼、不謹慎なのかも知れませんが……このあとの第一次世界大戦ではオーストリア帝国は崩壊し、分裂し……ドイツ帝国は皇帝を失います。

 小ドイツ主義、大ドイツ主義、そして中欧帝国構想……そういって火花を散らした時代から半世紀で両国は致命的なダメージを負うのですから、歴史って分からないものですよね。
スポンサーサイト
category
日記
genre
日記
theme
日記

Comment

Trackback

http://charanporarism.blog116.fc2.com/tb.php/59-8f34ab0d

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。